2025 .07.09
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2011 .12.10
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2011 .12.10
<福岡事件>再審求め署名活動 47年発生、75年死刑執行
「無実の人間を死刑にしたのではないか」--。1947年、福岡市で日本人と中国人の商人2人が射殺された「福岡事件」で、強盗殺人罪などで75年に死刑執行された西武雄(にし・たけお)元死刑囚らの再審運動支援者が10日午後、東京都内で集会を開く。終戦直後の混乱期に起きた死刑事件の再審開始要件を緩和する「再審特例法案」の制定を求め、集会後に署名活動を始める。事件の黒い霧を晴らそうと今年50年目を迎えた再審運動は新たなスタートを切る。
47年5月20日夜、福岡市博多区堅粕(かたかす)の路上で、軍服の取引をしていた2人が射殺された。間もなく、取引の立会人で手付金8万円を持ち帰った西元死刑囚と、射殺したことを認めた石井健治郎元服役囚ら計7人が逮捕された。福岡県警は西元死刑囚を首謀者、石井元服役囚を実行犯とする強盗殺人事件として調べを進めた。
西元死刑囚は「取引が終わるのを食堂で待っていたら、石井から2人を射殺したと告げられた。持ち帰った8万円は返却を要しない手付金だった」と容疑を否認。石井元服役囚は「もめ事をしていると思って近づいたら、一人が拳銃を出そうとしたので殺されると思って引き金を引いた」と訴えた。西元死刑囚は事件には関与しておらず、石井元服役囚は偶発的に2人を殺害したとの主張だった。
支援者によると、県警の取り調べは過酷を極めた。強盗殺人の共謀を認めさせようと、西元死刑囚を逆さづりにして頭を水につけ、正座した石井元服役囚の足の間に警棒を挟んで上から踏みつけた。供述していない内容や白紙の調書に無理やり指印を押したこともあったという。裁判は傍聴席を埋めた中国人から「全員を死刑にしろ」などと声が飛ぶ雰囲気の中で進められたという。
事件9年後の56年、最高裁で2人の死刑判決が確定。5回の再審請求はいずれも棄却され、75年に石井元服役囚が恩赦で無期懲役に減刑されたのと同じ日、西元死刑囚に死刑が執行された。石井元服役囚は89年に仮釈放された。
西元死刑囚の遺族らは05年、死刑執行後としては初の再審請求を福岡高裁に申し立てたが09年に棄却された。その後、再審請求権がある西元死刑囚の遺族や、石井元服役囚が亡くなり、再審運動は一時暗礁に乗り上げた。
運動継続のため持ち上がったのが再審特例法案。45年9月~52年4月に起訴された死刑囚の再審開始要件を刑事訴訟法が定める「明らかな新証拠」でなく「相当な新証拠」に緩和する法案だ。68年に国会に提案されたものの廃案になっていた。 支援者は再審対象に元死刑囚を加え、来年5月までに法案制定を求める10万人の署名を集め、国会議員による法案提出を目指す。
法案の対象になるのは福岡事件と帝銀事件(48年)だけ。対象期間当時の捜査は旧刑訴法下で人権軽視や自白偏重の弊害がみられ、占領軍の政治的影響力を完全に排除していたとは言えないという。
神戸学院大法科大学院の内田博文教授(刑事法)は「構造的な(冤罪、えん、ざい)は今も続いており、刑訴法の再審規定を緩和する必要がある。まずは終戦直後の死刑事件に限定した再審特例法案を議論して、誤判を是正する仕組み作りにつなげたい」と話している。【木下武】
(この記事は社会(毎日新聞)から引用させて頂きました)
「無実の人間を死刑にしたのではないか」--。1947年、福岡市で日本人と中国人の商人2人が射殺された「福岡事件」で、強盗殺人罪などで75年に死刑執行された西武雄(にし・たけお)元死刑囚らの再審運動支援者が10日午後、東京都内で集会を開く。終戦直後の混乱期に起きた死刑事件の再審開始要件を緩和する「再審特例法案」の制定を求め、集会後に署名活動を始める。事件の黒い霧を晴らそうと今年50年目を迎えた再審運動は新たなスタートを切る。
47年5月20日夜、福岡市博多区堅粕(かたかす)の路上で、軍服の取引をしていた2人が射殺された。間もなく、取引の立会人で手付金8万円を持ち帰った西元死刑囚と、射殺したことを認めた石井健治郎元服役囚ら計7人が逮捕された。福岡県警は西元死刑囚を首謀者、石井元服役囚を実行犯とする強盗殺人事件として調べを進めた。
西元死刑囚は「取引が終わるのを食堂で待っていたら、石井から2人を射殺したと告げられた。持ち帰った8万円は返却を要しない手付金だった」と容疑を否認。石井元服役囚は「もめ事をしていると思って近づいたら、一人が拳銃を出そうとしたので殺されると思って引き金を引いた」と訴えた。西元死刑囚は事件には関与しておらず、石井元服役囚は偶発的に2人を殺害したとの主張だった。
支援者によると、県警の取り調べは過酷を極めた。強盗殺人の共謀を認めさせようと、西元死刑囚を逆さづりにして頭を水につけ、正座した石井元服役囚の足の間に警棒を挟んで上から踏みつけた。供述していない内容や白紙の調書に無理やり指印を押したこともあったという。裁判は傍聴席を埋めた中国人から「全員を死刑にしろ」などと声が飛ぶ雰囲気の中で進められたという。
事件9年後の56年、最高裁で2人の死刑判決が確定。5回の再審請求はいずれも棄却され、75年に石井元服役囚が恩赦で無期懲役に減刑されたのと同じ日、西元死刑囚に死刑が執行された。石井元服役囚は89年に仮釈放された。
西元死刑囚の遺族らは05年、死刑執行後としては初の再審請求を福岡高裁に申し立てたが09年に棄却された。その後、再審請求権がある西元死刑囚の遺族や、石井元服役囚が亡くなり、再審運動は一時暗礁に乗り上げた。
運動継続のため持ち上がったのが再審特例法案。45年9月~52年4月に起訴された死刑囚の再審開始要件を刑事訴訟法が定める「明らかな新証拠」でなく「相当な新証拠」に緩和する法案だ。68年に国会に提案されたものの廃案になっていた。 支援者は再審対象に元死刑囚を加え、来年5月までに法案制定を求める10万人の署名を集め、国会議員による法案提出を目指す。
法案の対象になるのは福岡事件と帝銀事件(48年)だけ。対象期間当時の捜査は旧刑訴法下で人権軽視や自白偏重の弊害がみられ、占領軍の政治的影響力を完全に排除していたとは言えないという。
神戸学院大法科大学院の内田博文教授(刑事法)は「構造的な(冤罪、えん、ざい)は今も続いており、刑訴法の再審規定を緩和する必要がある。まずは終戦直後の死刑事件に限定した再審特例法案を議論して、誤判を是正する仕組み作りにつなげたい」と話している。【木下武】
(この記事は社会(毎日新聞)から引用させて頂きました)
2011 .12.10
岐経れいでぃお(仮)~第二回~岐阜経済大学webラジオ