2025 .07.07
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2012 .01.20
支局長からの手紙:3・11後の福井 その2 /福井
東日本大震災の被災地では今、政治(行政)不信が渦巻いています。被災者の訴えはもっともな点が多く、伝え聞く私たちにも同じ不信感が高まっていますね。
阪神大震災後もそうでした。なにか事が起こると、いつもこうなります。被災者も行政には限界があるのは承知しており、私の取材体験からすると、不信の多くはせめてもの施策に当事者(市民)の声が反映されていないと感じることに起因しています。
今回は福井の今後を探るため、地方行政について考えます。その思いは、事が起きた後だけに生じる問題なのでしょうか。
実は普段からよく耳にします。多くの人はいつも行政が遠い所にあると感じているが、どうしようもないとあきらめている。それが追い込まれる事態となって、顕在化するという見方もできます。
3・11後に考えるべきことの一つは、民主主義なのですから、行政府はもともと私たちのものだという基本でしょう。選挙を通じて代表を選ぶという原理は働いていますが、行政システムそのものが市民のものになっているかを問い直さなければなりません。
原発事故の背景を、政府が明治以来の殖産興業による富国化推進路線から抜け出せずにきたことに求める論評が3・11後に多く出ています。産業振興をすべてに優先してきた結果という論です。地方自治体の政策決定と実行にも同様の傾向がないでしょうか。公害などを経て修正はされてきたものの、県が新幹線の福井延伸などに一喜一憂する様子を見ても、なかなか変われないものだと思います。
そして、政策とはそういうものだという固定観念が地方自治体をも覆い、ほかの意見が聞こえなくなります。役所の仕事がなかなか上意下達という批判から脱することができないのは、決まったゴールに向かって突き進む習性を改められないからではないでしょうか。今後の行政は、市民の声を吸い上げて実現するシステムとなり、役所はその事務局的な存在であればよいと私は考えます。
市民主義が育ってこなかった結果として、行政側にすれば、市民の声を取り入れようにも聞こえてこない場合があるでしょう。しかし、行政は市民の声を引き出す役割も負っています。市民は個人や家庭の生活を維持しなくてはならない。それで税負担分から公共的な仕事を行政に委ねます。行政側は「委ねられている」という意味を重く受け止めるべきです。
これまでも述べてきた通り、福井では市民の声があまり聞こえてきません。市民運動をしている人たちは声を上げにくい風土を指摘します。批判や問題提起がなくては社会は改善されません。行政側は意見が活発に飛び交う地域になるよう全般的改革を図るとともに、市民活動の側面支援を積極的に行うべきです。以前に赴任した広島市では、市民の活動拠点となる施設があり、よく利用されていました。運営方針を市民グループなどの協議に委ねたことが、よく機能するためのポイントでした。
さらに、福井の街づくりをまじめに考えてもらいたい。特に県庁所在地の福井市のJR駅前再開発の現状にはあきれるばかりです。単なる再開発ではなく、市の中心市街地を再形成する事業ですが、遅々として進みません。
今さら言うまでもないでしょうが、人は街に集い、そこからさまざまに学ぶのです。市民の声を喚起し、発信していく装置としての街の存在は、福井の今後に欠かせないと思います。=この項、続く【福井支局長 戸田栄】
(ご意見は、toda-s@mainichi.co.jpにお願いします)
1月20日朝刊
(この記事は福井(毎日新聞)から引用させて頂きました)
東日本大震災の被災地では今、政治(行政)不信が渦巻いています。被災者の訴えはもっともな点が多く、伝え聞く私たちにも同じ不信感が高まっていますね。
阪神大震災後もそうでした。なにか事が起こると、いつもこうなります。被災者も行政には限界があるのは承知しており、私の取材体験からすると、不信の多くはせめてもの施策に当事者(市民)の声が反映されていないと感じることに起因しています。
今回は福井の今後を探るため、地方行政について考えます。その思いは、事が起きた後だけに生じる問題なのでしょうか。
実は普段からよく耳にします。多くの人はいつも行政が遠い所にあると感じているが、どうしようもないとあきらめている。それが追い込まれる事態となって、顕在化するという見方もできます。
3・11後に考えるべきことの一つは、民主主義なのですから、行政府はもともと私たちのものだという基本でしょう。選挙を通じて代表を選ぶという原理は働いていますが、行政システムそのものが市民のものになっているかを問い直さなければなりません。
原発事故の背景を、政府が明治以来の殖産興業による富国化推進路線から抜け出せずにきたことに求める論評が3・11後に多く出ています。産業振興をすべてに優先してきた結果という論です。地方自治体の政策決定と実行にも同様の傾向がないでしょうか。公害などを経て修正はされてきたものの、県が新幹線の福井延伸などに一喜一憂する様子を見ても、なかなか変われないものだと思います。
そして、政策とはそういうものだという固定観念が地方自治体をも覆い、ほかの意見が聞こえなくなります。役所の仕事がなかなか上意下達という批判から脱することができないのは、決まったゴールに向かって突き進む習性を改められないからではないでしょうか。今後の行政は、市民の声を吸い上げて実現するシステムとなり、役所はその事務局的な存在であればよいと私は考えます。
市民主義が育ってこなかった結果として、行政側にすれば、市民の声を取り入れようにも聞こえてこない場合があるでしょう。しかし、行政は市民の声を引き出す役割も負っています。市民は個人や家庭の生活を維持しなくてはならない。それで税負担分から公共的な仕事を行政に委ねます。行政側は「委ねられている」という意味を重く受け止めるべきです。
これまでも述べてきた通り、福井では市民の声があまり聞こえてきません。市民運動をしている人たちは声を上げにくい風土を指摘します。批判や問題提起がなくては社会は改善されません。行政側は意見が活発に飛び交う地域になるよう全般的改革を図るとともに、市民活動の側面支援を積極的に行うべきです。以前に赴任した広島市では、市民の活動拠点となる施設があり、よく利用されていました。運営方針を市民グループなどの協議に委ねたことが、よく機能するためのポイントでした。
さらに、福井の街づくりをまじめに考えてもらいたい。特に県庁所在地の福井市のJR駅前再開発の現状にはあきれるばかりです。単なる再開発ではなく、市の中心市街地を再形成する事業ですが、遅々として進みません。
今さら言うまでもないでしょうが、人は街に集い、そこからさまざまに学ぶのです。市民の声を喚起し、発信していく装置としての街の存在は、福井の今後に欠かせないと思います。=この項、続く【福井支局長 戸田栄】
(ご意見は、toda-s@mainichi.co.jpにお願いします)
1月20日朝刊
(この記事は福井(毎日新聞)から引用させて頂きました)
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