2025 .07.15
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2011 .09.17
ほんとの空へ・お~い福島:時代、先取りする精神を=松田喬和 /福島
四十数年前、福島での記者時代で驚かされたことがある。明治の初めから各方面で活躍した福島出身の女性が実に多いことだった。中でも、反政府色が濃厚な会津が多くの先駆者を輩出した。そこで連載企画「福島の女性」を始めた。再来年のNHK大河ドラマのヒロイン新島八重は残念ながら漏らしたが、野口英世博士の母シカや「智恵子抄」の高村智恵子を取り上げた。
いずれも波瀾(はらん)万丈の人生だが、最も驚いたのは維新後初の女子留学生、山川捨松だった。会津藩士の家に生まれ、8歳で経験した戊辰戦争で敗れた会津藩は、陸奥・斗南(となみ)藩に移封された。にもかかわらず、明治4年には仲間4人と米国に渡った。帰国後、津田塾大を創設した津田梅子もその一人だった。母親は「一度は捨てるが、期してマツ」と、それまでの咲子を捨松に改名させた。
連載の取材中、「先の戦争」と戊辰戦争を呼ぶ会津若松市内の酒造会社の経営者は「路上に倒れた会津藩の戦死者は、遺棄しておけと、西軍(官軍)はお触れを出した。だが、町の人々は深夜、ひそかに遺体を埋葬し霊を弔った」と、当時の模様を生々しく語ってくれた。
11年後に帰国した捨松は、大山巌陸相に見初められた。戊辰戦争の中でも会津は最大の激戦地で、大山は官軍(西軍)砲撃団の将校だった。当然、家族は反対したが、捨松は意を曲げず、後妻として嫁いだ。徳富蘆花の「不如帰(ほととぎす)」の継母役に擬せられ、中傷されたこともあったが、捨松は維新政府が進めた文明開化を、まさに体現するような女性だった。
東日本大震災を契機に、人々の心の持ちようも大きく変化しているようだ。こんな調査結果もある。震災前に比べ「家族との絆を大切にしたい」気持ちは56%が、「他人の役に立ちたい」気持ちも58%が、「強くなっている」と答えている(読売新聞調査)。
野田佳彦首相も所信表明演説で「福島で生まれて、(中略)福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです」と、福島の高校生たちが全国高校総合文化祭で演じた創作劇の一節を引用。被災者の故郷への強い思いを改めて強調した。
「第3の開国」が叫ばれて久しい。バブル経済の崩壊で始まった日本の漂流を止め、21世紀の新しい国家像を創造しようというのだ。人間の幸福度を測る尺度をモノからココロに転換すべきだとの意見も強い。
「文明開化」と共に、「富国強兵」「殖産興業」を維新政府は掲げ、欧米列強の後をひたすら追った。焦土と化した国土を再興しようと、戦後は「経済大国」への道をまい進した。いずれも欧米の先進モデルに「追いつき 追い越せ」と、国力を結集させた。だが、長らく確保してきた国民総生産(GNP)世界2位の座も昨年、中国に譲った。
東日本大震災で価値観の転換は促進されよう。すでに被災地を訪れたボランティアは100万人にも及んでいる。そこでの組織原理は、近代日本を支えたピラミッド型ではなく、ヨコの連携を重視したアメーバ型になっている。時代に流されず、時代を先取りする山川捨松のような精神が「第3の開国」には不可欠だ。(毎週土曜日掲載)
………………………………………………………………………………………………………
■人物略歴
◇まつだ・たかかず
1945年群馬県生まれ。早大卒、69年毎日新聞社入社。福島支局、社会部を経て政治部。論説委員、専門編集委員。09年から「松田喬和の首相番日記」を土曜日に掲載。政治コメンテーターとしてテレビ出演も。著書に「中曽根内閣史」(共著)など。
9月17日朝刊
(この記事は福島(毎日新聞)から引用させて頂きました)
四十数年前、福島での記者時代で驚かされたことがある。明治の初めから各方面で活躍した福島出身の女性が実に多いことだった。中でも、反政府色が濃厚な会津が多くの先駆者を輩出した。そこで連載企画「福島の女性」を始めた。再来年のNHK大河ドラマのヒロイン新島八重は残念ながら漏らしたが、野口英世博士の母シカや「智恵子抄」の高村智恵子を取り上げた。
いずれも波瀾(はらん)万丈の人生だが、最も驚いたのは維新後初の女子留学生、山川捨松だった。会津藩士の家に生まれ、8歳で経験した戊辰戦争で敗れた会津藩は、陸奥・斗南(となみ)藩に移封された。にもかかわらず、明治4年には仲間4人と米国に渡った。帰国後、津田塾大を創設した津田梅子もその一人だった。母親は「一度は捨てるが、期してマツ」と、それまでの咲子を捨松に改名させた。
連載の取材中、「先の戦争」と戊辰戦争を呼ぶ会津若松市内の酒造会社の経営者は「路上に倒れた会津藩の戦死者は、遺棄しておけと、西軍(官軍)はお触れを出した。だが、町の人々は深夜、ひそかに遺体を埋葬し霊を弔った」と、当時の模様を生々しく語ってくれた。
11年後に帰国した捨松は、大山巌陸相に見初められた。戊辰戦争の中でも会津は最大の激戦地で、大山は官軍(西軍)砲撃団の将校だった。当然、家族は反対したが、捨松は意を曲げず、後妻として嫁いだ。徳富蘆花の「不如帰(ほととぎす)」の継母役に擬せられ、中傷されたこともあったが、捨松は維新政府が進めた文明開化を、まさに体現するような女性だった。
東日本大震災を契機に、人々の心の持ちようも大きく変化しているようだ。こんな調査結果もある。震災前に比べ「家族との絆を大切にしたい」気持ちは56%が、「他人の役に立ちたい」気持ちも58%が、「強くなっている」と答えている(読売新聞調査)。
野田佳彦首相も所信表明演説で「福島で生まれて、(中略)福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです」と、福島の高校生たちが全国高校総合文化祭で演じた創作劇の一節を引用。被災者の故郷への強い思いを改めて強調した。
「第3の開国」が叫ばれて久しい。バブル経済の崩壊で始まった日本の漂流を止め、21世紀の新しい国家像を創造しようというのだ。人間の幸福度を測る尺度をモノからココロに転換すべきだとの意見も強い。
「文明開化」と共に、「富国強兵」「殖産興業」を維新政府は掲げ、欧米列強の後をひたすら追った。焦土と化した国土を再興しようと、戦後は「経済大国」への道をまい進した。いずれも欧米の先進モデルに「追いつき 追い越せ」と、国力を結集させた。だが、長らく確保してきた国民総生産(GNP)世界2位の座も昨年、中国に譲った。
東日本大震災で価値観の転換は促進されよう。すでに被災地を訪れたボランティアは100万人にも及んでいる。そこでの組織原理は、近代日本を支えたピラミッド型ではなく、ヨコの連携を重視したアメーバ型になっている。時代に流されず、時代を先取りする山川捨松のような精神が「第3の開国」には不可欠だ。(毎週土曜日掲載)
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■人物略歴
◇まつだ・たかかず
1945年群馬県生まれ。早大卒、69年毎日新聞社入社。福島支局、社会部を経て政治部。論説委員、専門編集委員。09年から「松田喬和の首相番日記」を土曜日に掲載。政治コメンテーターとしてテレビ出演も。著書に「中曽根内閣史」(共著)など。
9月17日朝刊
(この記事は福島(毎日新聞)から引用させて頂きました)
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